"

しばらく前に仲間に言われたこと.

できあがった理論や,他人が研究で新しく編み出したテクニックを習得するときは,何てすごいアイディアなんだ!と驚嘆したり感動したりせず,「フーン,そうやればいいのか.」と冷静に,当たり前のように受け止めたほうがよいらしい.なぜなら,それをスゴイ理論だと思うほど,自分には難しくて使いこなせないのでは,という心理的な壁ができてしまうから.うーんなるほど,そうだなぁと思った.

振り返ってみたら,小中高で数学を習うときもそうなっている.例えば『数直線』—-直線上に実数を目盛るというアイディアは,実に偉大な,驚きの発明だったけれど,教えるときは「こうするんですよ」とやり方を説明するぐらいで,それはとてもスゴイことなのだとか,知性の不思議なはたらきですねとかはあまり言わない.これはきっと理にかなっていて,そんなことをあまり強調されると教わる側は心理的に萎縮してしまうだろう.

ほかに例えば,高校で扱う『積分法』など,実にサラリと話が進む.積分という言葉の意味にも触れず,いきなり「微分の逆を不定積分と言いましょう」から始まって,「定積分とは端点での値を代入した差です」と続き,「実はそれはグラフとx軸が囲む図形の面積なんです,じゃあどんどん面積を計算してみましょう」と来る.何だか,わけもわからないうちに新天地に連れてこられたみたいだ.

個人的には,こんな教わり方をしたために,物理法則が微積分を用いて記述されることを得心するのに余計に長い時間がかかってしまったような気もしなくはない.(ちなみにこの問題—-微積分の意味が学びにくいこと—-はある程度一般的で,現在も残っていると思われる.今後改善されてゆくことを望む.)しかし,ともかく1ヶ月もすればみんな平気な顔をして面積が計算できるようになる.いろいろと問題点や批判はあるだろうが,微積分学は歴史的に見ても多大の労苦・試行錯誤の末にできあがった理論で,一度で完全を期すのは難しい.何ヶ月かの勉強でとにかく使い始められるようになるのは一定の成果だと思う.少なくとも,微積分ができるまでの長い歴史を振り返ったり,その深遠さを語ったりすることは,習得のためにはあまり意味がなさそうだ.

もちろんどんな理論も,「本質を捉える」ことは大切なのだけど,しかしそれは,驚嘆したり感激したりすることとは独立にできることではある.感動せずに勉強なんてちょっと味気ない感じだが,理論も技術も「使いこなせてナンボ」だとするなら,冷静に平常心で学んでしまう(感動は自分で使いこなせるようになったときまで取っておく?)のがよいのかも知れない.

"

びっくり数学島 習うときはタンタンと

数学者の谷口隆さんのブログから。これには同意するな。

確かに、昨今行われている科学リテラシー教育のように、これはスゴイ、感激、センス・オブ・ワンダーとか言われて、驚嘆の押し売りをされながら科学や数学を教わるより、十分反復練習をし、技術や概念を取得したあとで、実はねそれは結構スゴイんだよと言われるほうが深く感動すると思う。

ただ、科学や数学に対して当初全く興味がない層に、ある程度モチベーションと興味をもってもらうためには、感激やセンス・オブ・ワンダーが必要だという意見も理解できる。うーん、教育は難しいね。

(via kashino)

(via kashino)

View Post