下のエントリ紹介した大前研一氏の「身の丈」論、
http://kashino.tumblr.com/post/21007863301
だけれど、実は上で引用しているJ.S.ミルのUtilitarianismでも有名なテーマの一つなんだよね。
大前氏が例に出している「高校時代に成績の悪かった」ような人が満足な人生を送っているとかいうアネクドートだけれど、これはミルに言わせると、すぐ手に届く「身の丈」に甘んじているから満足感で満たされると。言葉が悪いけれど、上の引用文では、バカや豚はすぐに満足すると言っている。
そうではなくて、自分の知的な程度を上げ、より上を目指す人は常に不満足な感覚を持ち続けて大変だけれど、その不満感の出処は、自分の立場からの近視眼的な視点だけではなく、社会における異なった価値観や多数の意見を知っているという広い視点をもっているからなのだ。そして、その不満に耐えるということは、人間として生を真っ当するには大変に重要なことなのである。ということをこの論では述べているんだよね。
もちろん「いつかはクラウン」的な単なる消費財の大衆顕示的消費や組織における出世競争によって「人生のステージ」をあげていく行為と、ミルが称揚する知性を継続的に上げていくのが人間の本来の生き方だというのでは、実は語っている対象が違うのは事実だけれど、満足感だけを求めて「身の丈」で甘んじることがいいのかということについて見ると、2つの異なる立場を表明していると言える。
まあ、僕自身としては、大前氏の「身の丈」論もわからないではないけれど、ミルの功利主義論の方が、常に不満足感を味わい続けることになったとしても、しっくりくる。今までもそうやって生きるようにしてきたし。
Utilitarianism by John Stuart Mill
(via kashino)(via kashino)