上手な人は、楽しむことが本当に上手。いい料理屋を知っているとか、いいワインが選べるとかそういうのではなくて、どこに行っても何だか気負わない、場を楽しむのが上手な人。それができる人が一人いると、みんなでご飯を食べてもおいしくて、まわりもまた楽しめる。
「できない」人ばっかりだと、どんなに高級なところで外食しても、何だかみんな見栄張って、料理見ないで仕事の話し始めたりして、ご飯がもったいない。「見られる自分」みたいな、余計なことばっかりに意識が行って、何だか楽しめない。自分も含めた「できない」連中は、きっとみんなそのこと分かってるんだけれど、楽しみかたが分からなくて、楽しもうとするんだけれど、やっぱり「楽しめる」人が一緒でないと、楽しめない。
料理食べて、「おいしいね」なんてほんの一言、気負わないで言うだけの能力なのに、それが何だか決定的な能力差として効いてくる状況というのがしばしばあって、できる人はそれが当たり前のように身についてるし、できない人は、そうなりたいと思っても、やっぱりどうやっていいのか分からない。
たとえば「自分で料理を作って、それを日記にして公開する」なんて試験をすると、この能力が定量できるような気がする。
いろんな料理サイトがある。見た目がきれいだったり、いろんな材料を使ってたり、「一生懸命さ」みたいなものは、どこ見ても伝わってくる。「自分も作りたいな」なんて思う文章は案外少なくて、あんまりおいしそうでうらやましく思えるような文章は、もっと少ない。そういうところに限って、作ってるのはただ豆腐ゆでただけだったり、魚焼いただけだったり、もっと手をかけて、もっとおいしそうな写真出してるサイトなんていくらでもあるのに、「うらやましいな」なんて指くわえて眺める料理は、かけた手間とは無関係だったりする。
お金の使いかた、同じ金額のお金を使って、そこから得られる楽しみの量みたいなものは、やっぱり「能力」みたいなもので相当に左右されるのだと思う。
"能力のこと - レジデント初期研修用資料