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「24時間テレビ」の放送終了後、今井絵理子は公式ブログを更新。「息子の障害のことを公表するにあたり、たくさんたくさん悩みました」「しかし、私自身悩んで考えた結論はこうだったのです。『障害は個性だと受け止め、個性を認め合える社会になってくれたらいいな。』」「番組でもお話したように、障害は不便だけど不幸ではないよって息子含め、たくさんの人に伝えたかった」「同じように障害を抱えている人、親御さんに少しでもエールを送りたかった」と心中をつづっている。"
175RのSHOGO、息子の障害を放送した24時間テレビに「裏切られた」。 Narinari.com (via jacony)
「同じように障害を抱えている人、親御さんに少しでもエールを送りたかった」はわかるが、「障害は個性」論って本当に有用だろうか
(via nakano)
「障害は個性」ってのは他人に言う言葉じゃなくて、自身の中で「それ」を受け入れるためのマジックワードとして機能する。つまり「悟り」の一種なんだよね。欠如ではなく差異であるという事。私も障害者だし、その感覚は分からないでもない。でも、いわゆる健常者が「障害は個性」ってのをそういうものとして受け入れてくれるかどうかは分からない。
私に対しても「薬に頼っちゃダメよ」とか言ってくれる人もいるし。私は薬止めたら1年くらいで死んじゃうっちうの!
(via hexe)
誰でも年取ったら今より体動かなくなるから、「体の機能が劣っていてもOK(障害は個性)」という立場を取っとかないと自分自身の将来が不安で辛くない?(そんなことない? そういう問題じゃない?)
(via sorane)
いや、そゆことを若いうち体が動くうちに思えればなー、とは思う。若くてピチピチしている時代に、さしたる大病を患わずに済んだとしても、将来腰が曲がってヨチヨチとしか歩けなくなるとは実感しがたい。健康志向とかアンチエイジングとかってややもすると、そういう悟りというか覚悟というか、を鈍らせる。
(via hexe)
「障害は個性」って、たぶん社会システム側が受け入れなければならない言葉なんだと思うんだよなぁ。実際、障害者がいることで健常者にも暮らしやすい環境(例えば段差なくすとか安全マージン広めに取るとか)を社会側が作りやすくなると考えるべきなんじゃないかな。障害者よりの健常者(高齢者とか)にもやさしくなるわけだし。もちろんコストはかかるし、過剰に保護するとまた別の弊害が出るというのは難しいところではある。
(via yoosee)