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少なくとも東京では、子供をもった後に待ち構えているのは、孤独だ。特に母親は。

子供ぐるみで迎え入れてもらえるソサエティはない。せいぜいが「ママ友」くらいだが、そこには父親や親戚、少し大きくなった子供や、独身者の影はない。至って均一で、しばしば息苦しい女性社会だ。

それに比べて、子供のいない消費生活の充実ぶりはどうだろう。

好きなときにおいしいものを食べに行き、買い物に行き、本を読み、習い事に行き・・・。

子供をもてば、孤独で息苦しい生活に突入するとしか見えないのに、今の楽しさを手放す母親がどこにいるか。

そりゃ、少子化にもなるだろう。

しかし、母親であることの楽しさや喜びは、けっこうある。多くの母親は、実際にそれを感じているはずだ。

ただ、その幸せを表明し、謳歌することが、なぜか難しい。

たとえば、子供がいないために不幸を感じている人たちに配慮しなければいけない、という「政治的正しさ」に縛られる。

「結婚して子供を育てて一人前、という価値観を押しつけるな!」という言説を目にする機会は多い。そして、子供のいる幸せを口にすることが価値観の押しつけととられることを、ついおそれてしまう。

一方で、子供がいない方が消費生活を送る上では幸せであることへの羨望が、子供のいる幸せを素直に感じさせない。---これは「ほんとうの」幸せなのかしら?---

また、子供の父親を含めた他人、そして社会は、少しでも幸せであることを表明した人に、それ以上手を貸してくれることはしない。

父親不在の状態で子育てをしていて、とてもつらい状態なのに、母親が子供の笑顔や成長に喜びを見いだしているうちは、父親は家庭には帰ってこない。会社も帰してくれない。

他人や社会は、「現場が回って」いる限りは、手を貸してくれない。ましてや、現場を回している人が、少しでも幸せを感じていれば、なおさらだ。

「幸せを感じることもある。でもつらい」ではダメで、「幸せなど感じない。もう壊れる」と主張しなければ、現状は改善しない。

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幸せを表明することの政治的正しさと、他人をもっと幸せにすることの気前よさ - 理系兼業主婦日記

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